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平成25年2月例会(第592回)講話

 投稿者:koizumi  投稿日:2013年 2月25日(月)11時33分13秒
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  2月20日(水)砂田定夫さんから「岳界から消えた登山家 ~あらためて吉田二郎の疑惑問題を検証する~」のテーマでお話がありました。出席者27名。資料として砂田さんの感想「吉田二郎はなぜ?」とレジメ3枚の配布がありました。最初はレジメ資料をもとに①疑惑の端緒を『岳人』137号(1959.9.1発行、中部日本新聞社)から、疑惑と思われる8件の記録として、鹿島槍北壁蝶型右稜、阿弥陀岳南稜、荒沢左俣、不帰東面一蜂尾根、他4件、②吉田二郎の反駁を『岳人』138号(1959.10.1発行)から、疑うか疑わぬかは読者の主観に帰属するもので登嶺会の記事も誤りに満ちた一方的なものであるなど、 ③再び疑惑追及を『岳人』139号(1959.11.1発行)から、高橋伸行氏の疑問点指摘、 ④思わぬ側面からの糾弾を『岳人』140号(1959.12.1発行)から、独標登高会山口耀久氏の指摘、『岩と雪』第1号((1958.7.1発行、山と渓谷社)から、幾つかの虚構の指摘などの記事を参照にした説明がありました。砂田さんの感想として昭和30年代は、空前の登山ブームで第2次RCCの中心だった奥山章の参謀役の吉田二郎が当時の気鋭のクライマーたちに伍して初登攀の記録に自らの名を残したいという焦りがあり、三大岩場(穂高・剣・谷川)でなくやや日の目を見なかった後立山に目をつけ、そのオーソリティとしての地位を確保することを思いついた。巧みな文章を駆使して虚構の世界に足を踏み入れ、次々に初登攀の報告を重ねていった。当初は一部にはその記録に違和感を持った人もいたようであるが、表面的には糾弾するものも現れず、吉田は虚構の泥沼に浸っていった。ある意味では、初登攀競争時代の犠牲者ともいえる。吉田はフイックション作家だったら成功していたかもしれない、という人さえいる。それほどの吉田が記録の疑惑に対して明確に反論の文を書くこともなく、岳界から消えていった。結局、吉田二郎は書斎で遭難して果てたのである、と結ばれました。参考資料として、雑誌「岳人137、138、139号」と書籍「岩と雪の王国」が紹介されました。「岩と雪の王国」には月別に格調高い随筆が書かれているとのことです。
 
 
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